こんにちは。Webライターの池田です。
1985年生まれ。
北海道出身で、今は沖縄県で奥さんと娘と3人で暮らしています。
この記事ではHSPの特性を持つ僕が、Webライターを目指すに至った経緯をお話ししようと思います。
目次
学生時代
私が中学生だった1990年代後半は空前のバンドブーム。
同級生たちがこぞってギターを練習していることに影響をうけ、興味を持ったのがきっかけでした。
その後バンドを結成し音楽活動に没頭。
楽曲制作、音源の自主製作販売など頑張っていましたが、バンドメンバーの進学・就職等によりバラバラとなり解散。
これを機に自分も就職活動を始めました。
【23歳~28歳】大手電力グループ時代
大手電力グループが運営するスーパー銭湯に就職。
5年務めたのち、以下の要因が重なり退職を決意。
- 雇用形態が契約社員だった
- 正社員登用が閉ざされる雇用契約への変更を余儀なくされた
- 人間関係が劣悪だった
今思えば、雇用形態にこだわる必要は無かったかなと思います。
【28歳~29歳】通信系企業時代
念願かない正社員として入社。
しかし初日から問題発生。
募集内容と実際の拘束時間が違う……
もちろん残業代はつきません。
こう考えたのが間違いでした。
その後も様々な問題が発生。
- 無給の休日出勤
- 急な長期出張命令
- 事務所へ税務署が踏み込んでくる
一年ほど務め転職を考え始めたころ、好条件の誘いを受けすぐに飛びつきました。
【29歳~31歳】再び銭湯業界へ。
電力グループ時代の同僚から誘いを受け、再び銭湯業界へ戻ってきました。
しかしここでも人間関係に悩み、ストレスを抱える日々……
そんなころ当時付き合っていた彼女と婚約。
深夜勤務が多い業界だったこともあり退職を決意。
一緒に生活をしていくにあたって、生活時間帯は大事ですからね。
【31歳~34歳】婚約破断、沖縄移住
転職活動をしているなか、まさかの婚約破断。
意気消沈しているところに、沖縄での仕事の誘いを頂きました。
精神状態がボロボロだったこともあり、一度環境を変えようと移住を決意。
人間関係のストレスでパニック発作発症
沖縄では居酒屋に勤務。
2年ほど勤務したのち店長を任されるようになりました。
小さなお店を二人で運営していましたが、一緒に働いていたスタッフと合わず、またも人間関係に悩まされることに。
ストレスを抱えながら毎日の勤務をこなしていた結果ついに限界。
パニック発作を起こしました。
転職も視野に入れ会社と相談した結果、人事異動がありひとまずことなきを得ました。
【35歳~36歳】結婚、出産、コロナ
知人の紹介で知り合った女性と結婚。
新生活を始めた矢先、世界的にコロナウイルスが大流行。
夫婦とも飲食店に勤めていた私たちは、このあおりを大きくうけ生活は一変。
行動制限をうけ、増えた自宅時間で読書を始めました。
このとき出会った本が、この先の人生を変えるきっかけとなったのです。
【37歳~現在】HSPとWebライター
人間関係に悩み続ける社会生活を送っていた私が、ふと本屋で手に取った本が
でした。
この本をきっかけにHSPという特性を知り、同時に自分がHSPであることを自覚しました。
読み終わったときに、今まで感じていたモヤモヤ感がすっと消えていったのをよく覚えています。
他者と自分の違いを受け入れた瞬間でした。
事業拡大、増すストレス
コロナウイルスも落ち着きを見せはじめたころ
所属する会社が事業拡大を始めました。
このころすでにマネージャー職を任されていました。
事業拡大と共に増える人間関係。
やはり人間関係でストレスを抱え込み、管理職を辞任しました。
Webライターを目指す
HSPの特性を受け入れ、現環境に適応していけるよう試行錯誤をしていました。
しかし人間関係の悩みが尽きず、またも転職を考えるように。
転職の際に条件としたのが以下の3つ。
- 家族時間を確保できること
- 現収入を維持できること
- なるべく個人で完結できる仕事であること
30台後半に差し掛かっていた私が、全ての条件を満たした仕事を見つけるのは容易ではありませんでした。
雇用されるのが難しいなら独立すればいい。
そうして見つけたのが「WEBライター」という仕事でした。
まさに、今自分が求めていた仕事でした。
理由は下記の通り。
- 時間の拘束が自分次第=家族時間が確保できる
- 基本的なパソコンスキルがそもそも備わっていた=収入の確保まで時短できる
- ひとりで仕事が完結できる=面倒な人間関係から解放される
それからはWebライターで独立を目指し勉強を開始。
2023年6月に「WEBライティング実務士」を取得し、現在はブロガー・Webライターとして活動しています。